陸抗 リクコウ

西陵の戦いの兵力に関して

 これを書く前に本来なら、西陵の戦いの概要を書くべきなのだけど、まだ書けていません……。とりあえず、流れを知っている人向け。

 西陵の戦いにおいて、陸抗は寡兵で晋軍を打ち負かした! とされているが、一体それって具体的には何人vs何人だったのか。

 とかく史書などに書かれている軍の兵数はあてにならない。冷静に考えてそんなに人がいるわけない! という大軍が動いていることになっている。赤壁の曹操の宣言のごとく、大袈裟に言うのが当たり前。実数は十分の一、などということはざらのようである。

 しかし西陵の戦いの兵力数は、晋軍八万、呉軍三万弱。大事件のわりには少ないというか、むしろ妙にリアリティのある数である。(晋書が編纂された頃には、大袈裟に言う風潮はもうなかった? 笑)

 具体的には、敗戦後の晋で羊祜と楊肇が訴えられた上奏によって、西陵の戦いにおける兵力を知ることができる(誰が訴えたのかは謎。いろいろな人がいっぱい言ってきたのかも。羊祜って敵国の民にまで慕われる反面、わりと身内に敵が多いよね)。

 西陵督闡舉城來降.將陸抗攻之甚急,詔祜迎闡.祜率兵五萬出江陵,遣荊州刺史楊肇攻抗,不克,闡竟為抗所擒.有司奏:「祜所統八萬餘人,賊不過三萬。祜頓兵江陵,使賊備得設.乃遣楊肇偏軍入險,兵少糧懸,軍人挫衄.背違詔命,無大臣節。可免官,以侯就第.」竟坐貶為平南將軍,而免楊肇為庶人.

 羊祜は八万の兵を率いていましたが五万を江陵に率いていき、三万にも満たない賊(=呉軍つまり陸抗のことね 笑)に敗けてしまいました。クビにしてください司馬炎様! みたいな状況で、まあこれは訴えという状況のせいなのかもしれないけど、妙にリアルな数字である。

 三国志のほうにも、「身率三軍,憑圍對肇」とのことで、陸抗は三軍を率いて楊肇を迎え撃ったいう記述がある。一軍というのは一万人によって構成されるらしいので、西陵にいた呉軍はやはり実際三万であり、別にこの原告が羊祜を陥れようと大袈裟に少なく言っといたーってわけでもない。

 そして羊祜は八万のうち自分で江陵に五万を率いて行ったので、実質西陵に攻めてきたのは楊肇率いる残りの三万である。

 となると、西陵だけピンポイントで見た場合、呉軍が圧倒的な寡兵にも拘わらず勝った! というわけではない。三万対三万といっても、西陵城に籠城している叛乱軍もいるので互角の兵力だったとは言えない。しかしそれにしても晋軍が何倍も何十倍も居た! なんてわけではないのである。

 ではなぜ羊祜は、主戦場である西陵に楊肇に三万を任せて出陣させたのみで、自らは江陵に五万の兵を率いていったのか。この際どい決断は一般には、羊祜の策略だったとされている。現に陸抗麾下の呉将らはこぞって、江陵を救援しないと! という意見になったものの、江陵が奪われても西陵で勝つことが最終的な戦勝に繋がる、と陸抗が懸命に説得(っていうよりは、同じようなことが続いて、お前らはもういい加減黙ってろ! って言いたげな気もするけど!)して、なんとか事なきを得た。

 が、「兵少糧懸」ともあり、晋の文士潘岳による楊肇の誄辞にも、楊肇の指揮に過ちはなかったが補給が困難であってついに兵糧が尽きて撤退せざるを得なくなった、というような感じで書いてある(まあこれは全体的に楊肇に都合良く書いてあるが)。

 そもそも補給が困難になる時点で指揮に過ちがあるんじゃないのか、という気もするけど、総司令官でもない楊肇にはそのあたりは如何ともし難く、責任は羊祜にある、ということになる。

 結局、誘導作戦以前の問題として、もしかすると羊祜は単純にそれ以上西陵に兵力を割くことはできないと判断したのかもしれない。そうなると、元より西陵は呉のテリトリーであり、陸抗は容易にその事実を見抜けただろう。

 西陵を北から攻めるのが、果たして困難な経路なのかどうかはイマイチわからない(現代の地理くらい調べてみるべきなんだけど、地理苦手なもので!)

 ちなみに陸抗は「臣父遜昔在西垂陳言,以為西陵國之西門,雖雲易守,亦復易失」父陸遜がかつて「西陵はわが国の西の門戸であり、守備することも容易であるが、また簡単に失われてしまう」と言った……と言っているが、これは地理的な問題を含んでいるのか、単に国境の拠点であるという意味なのだろうか。

 ただ、いかに西陵に攻めてきた晋軍が三万に過ぎず補給の問題も抱えており、なおかつ戦場は本来的には呉の領地であり晋軍にとっては遠征の地だった、としてなお、決して容易く呉軍が勝てる状況だったというわけでもない。

 陸抗は、直接対決したのは西陵に攻めてきた楊肇だが、同時に呉軍総司令官として、西陵城の叛乱軍(歩闡)、西の建平に攻めてきている水軍(徐胤)、そして最大軍勢で江陵に攻めてきている羊祜、これらのすべてに気を配らなければならず、どこかで判断や力配分を誤ってしまったら敗ける! という立場にあった。

 西陵の局地的な状況も、楊肇軍に投降する将などが発生するくらいなので呉軍に有利な展開であったとは思えず、さらには麾下の将軍の全面的な信頼を得ているとは言い難い状況の中、強い意志をもって彼らを説き伏せ、自らの判断を実現させなければならなかった。

 どの戦の結果もそうであるように、運による一面はある。だがやはり呉軍が勝つことができたのは、陸抗の優れた判断力と決断力がもたらした結果だった。

 ……と結局陸抗を褒めて終わってみたり。笑

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